
塚本先生はじめ塚本数学クラブの先生方、スタッフの皆さま方、大変お世話になりました。この塚本数学クラブに入会していなかったら、僕には開成高校の合格なんて絶対にありえなかったと自分は断言できます。
僕が初めて開成高校を意識したのは中学一年生の時でした。学校の三者面談で志望校を聞かれ、「開成」と言ったとき(僕は本気で言っていたのですが…)、全く話にならずに面談が終わってしまったのを覚えています。(勿論、当時の僕の成績ではそれも無理もなかったかと思います。)
振り返ればとても忙しい中学校生活でした。日々の勉強に加え、部活動、学校行事、そして生徒会活動。どれも僕には手を抜くことのできないものでした。でも、塚本数学クラブの教室を一歩入ると、「僕は今何をしなくちゃならないんだ!遊んでいる時間なんてないんだぞ!」と体中に稲妻が走るのを毎回感じていました。その位、教室には僕を志望校に向かって夢中にさせるための全てがあふれていたのです。
時に5時間もノンストップで続く授業。毎回白熱していて1時間位にしか感じませんでした。前回の授業内容を「ガチガチに」固めてくるのは当たり前。誰が一番にこの難問を攻略するか競うのはまるでゲームのよう。授業が終わってからも「あの問題は誰の解法が一番美しいか。」なんてことを仲間達と遅くまで夢中になって議論しているのを、塚本先生はいつもニコニコしながら横で聞いていて下さいましたね。また、英語や社会の授業でも先生の繰り出す雑談が頭の中で知識と結びつき、すうっと身に入っていくのがよくわかりました。
そうして瞬く間に駆け抜けた受験勉強の日々、気が付くと、過去問に取りかかる頃には毎回どの教科も初見でも合格者平均を上回れるだけの実力がついていました。特に数学は毎回1問か2問しか間違うことがなく、満点の年もあるほどで、これには自分自身がびっくりしていました。
そして迎えた開成の本番。問題を解きながら、「今年は今まで説いた過去問の中で合格最低点が最高だったあの年より易しいぞ、最低点は高くなるに違いないから、ミスをしないようにしないと。」そんな風に考えられるくらい、僕は驚くほどに冷静でした。掲示板に受験番号を見つけた時、僕は涙が出そうになる位嬉しくて、でも、そのあと心に浮かんできたのは、「やったー!これで受験勉強から解放される。」でも「三年間の努力が報われた!」でもなく、「もっともっといろんなことを勉強したい!楽しい高校生活にするぞー!」でした。
僕は今、これから始まる学校生活にわくわくしています。そんな風に思えるのは、塚本数学クラブが単なる受験勉強ではなく、学ぶこと本来の楽しさ、そして切磋琢磨するかけがえのない友達を僕に与えてくれたからだと確信しています。
三年間、どうもありがとうございました!

この塾に入るまでは、数学が得意だと思える自分は想像できませんでした。
最初に、先生から、シュリーマンと福翁自伝の本をもらいました。読み終わった後、これから遊べないんだなと腹をくくりました。
授業が始まってしばらくは、先生の言っていることが理解できませんでした。でも落ち込んでいる暇もなく、授業はどんどん進んでいきました。クラスの皆が天才に思えた。復習をしっかりやるようにと先生から言われたが、復習にも時間がかかり、焦りました。でも、授業を受け続けているうちにだんだん数学が難しいものから、楽しいものに変わっていきました。
中2になってから、数学がすごく伸びました。問題を解いていると、定理が生きているみたいに頭の中をかけめぐるように感じて、自信をもって問題を解くことができました。授業で先生が定理や解法を証明してくれたおかげだと思います。だから、難しい問題にあたってもひるむことなく自信をもって取り組めるようになりました。
勉強は続けているといつか伸びる時期がくるのだと実感できました。それまでやり続けるのは大変だったけれど、塾のおかげで走り続けられたのだと思います。授業は、先生がすごくパワフルで、こちらも全力でくらいついていく、という感じでした。授業の後、みんなで自分の解答を出し合って、こんな解き方があったのか、とワイワイやるのもすごく楽しかったです。先生がおでんやアイスクリームを差し入れしてくれることもありました。
中3になって、志望校の合格ラインを意識するようになった頃に、数学では負けない力が付いていたことが実感できました。
しかし、数学ばかり勉強し過ぎたため、英語ができなくて困ったこともありました。でも、先生から言われたことを地道にコツコツやるだけでした。半年はかかったけれど、何とか間に合って、受験にのぞむことができました。
この塾では、勉強だけでなく、いろんなことを学びそして経験できました。限られた時間の中で、何を優先するべきなのかを考えなければ大量の宿題はこなせなかったので、時間管理が自ずと身に付きました。また、難しい問題にあたったら、絶対解いてやる、という根性みたいなものがそなわったと思いました。
塚本数学塾での三年間は、とても楽しかったです。この塾に出会えて本当によかったです。

私は、塚本数学クラブでなければ合格出来ていなかったと思う。迫力がある中にも温かさのある授業で、長時間にわたる授業もあっというまに感じてしまうほどひきこまれた。数学では、単に解法を覚えるのではなく、定理をすべて証明してもらい理解することによって、数学の魅力や解くことの楽しさまで教えてもらえた。中学受験の時は、算数を苦手としていたが、塚本先生の授業を受けたことで数学が大好きになり得意科目になった。さらに集中力が鍛えられ、復習することの大切さを教えてもらった。今では、この塾の授業がない生活が考えられない。本番の受験でも数学は、ほとんど見たことのある問題で、新傾向の問題でも、今までの授業を生かして解くことが出来、自信を持って臨むことが出来た。
国語では、文章への線の引き方、記述など今までの解き方を覆すような解き方を教えてもらい、文章問題を解く怖さがなくなった。
英語でも、先生手作りの文法のテキストを解くことで、様々なパターンの問題に対応することが出来た。
また、先生方のサポートが素晴らしかった。私が立体図形の問題を苦手としていることを先生に伝えると、個人的に特別なテキストを貸してくれたり、テキストを指示して下さったりと親身になって協力してもらった。悩んでいる時には、いつも適確なアドバイスをもらい、入試直前には、激励の電報を頂き、一層気合いが入り、受験本番でも大きな心の支えとなった。
本当にこの塾に通うことが出来て良かった。良きライバルとして、切磋琢磨し、一緒に頑張ってきた塾の仲間、優しく対応してくれた事務の方、そして何より熱心に指導して下さった先生方、本当にありがとうございました。

僕が一番合格に近づいたと思う時期は中学三年生の夏休みです。
三年生の夏休みの生活スタイルは僕の場合は朝の八時に起き夜の四時ごろに寝るというものでした。連日、講習があり、深夜0時ごろに家に帰ってきてすぐに復習をして復習に四時間くらいかかっていたので朝早く起きて宿題をしていかないと間に合わない感じだったので本当にギリギリの生活でした。
僕は夏前まではそこまで熱心に勉強しておらず、模試の結果も志望校変えた方がいいかもしれないと思うくらい悪いものでした。
そんな状態で夏休みを迎えてさすがにヤバイと思って本気でやり始めました。僕の場合はいくつか自分の中でルールをつくっていました。
一つ目のルールは家に帰ってすぐ復習すること。二つ目は復習が終わるまで寝てはいけないこと。三つ目は復習は最低二回は絶対にやること。四つ目は宿題は絶対にすること。これら四つのルールに基づいて勉強に励んでいました。眠気に襲われた時は一緒に志望校合格を目指している友人と電話をして眠気に耐えていました。
今、その頃を思い出すと吐きそうになるくらい大変でしたが一番合格に近づいた時期だと思います。
夏休みが終わり秋になり始めると少しずつ解ける問題が増えてきて、年が変わる頃には自信も少しずつついてきました。
本番でも試験を難しいと思うこともなく、簡単に解くことができ、夢の第一志望に無事受かることができました。
本当に思うのですが、あの夏休みがなければ合格はなかっただろうと思います。合格に一番近づいた夏休みは自分にとって本当に良い経験だったと思います。

僕は、中学受験をしていなかったため、塚本数学クラブに入る時に授業についていけるかとても不安だった。
実際に入ってみると、授業のレベルも高く、周りのレベルも高かったため授業についていくのがやっとだった。
しかし、先生の教え方は、とてもおもしろく、数学の奥深さというものを私に気付かせ、単に高校受験のための勉強だけでなく、その先を見つめた勉強に対する「姿勢」を教えてくださった。その最たる例が「ガチガチに復習しろ
!」という言葉だった。中学一年生の時は、軽く受け流し、そこまで復習しなかった。すると、三年の時の駿台模試で、偏差値三十台をだしてしまった。残念というよりは単に驚きだった。原因を考えてみると、「ガチガチに復習」を全くしていなかった。その時から塚本先生がおっしゃった「ガチガチに復習しろ!」を思い出し、目標として数学の授業で毎週行う確認テストで満点を取り続けることにした。そして、中学三年の夏休み以降ほぼ満点を取ることができた。
また、塚本の国語は、どんな問題でも「型」に当てはめれば解けるということを教えていただいた。基本を忠実に行い「型」に当てはめることで本番でもしっかり点を取ることができた。そして、僕が一番苦手だった英語は、繰り返し多くの問題を解き、先生のサポートもあり何とか本番でも足を引っ張ることはなかった。
このような、授業のおかげで僕は、偏差値三十台からの逆転をはたし、夢だった慶應義塾高校の合格を現実にした。
塚本数学クラブでの三年間は、一生の宝となりうる勉強に対する姿勢や学問の本質に迫る貴重な経験となった。塚本数学クラブの偉大な先生方や両親をはじめとする僕を支えてくださった多くの人たちへの感謝で一杯だ。
三年間ありがとうございました。

僕は小学生の頃はクラスでちょっと出来るほうかなっていうくらいのごく普通の子でした。
勉強する習慣もなにもなかったので中学受験はまったく考えていませんでした。
家に入っていたチラシを見てここは面白そうだなと思ったという何気ない理由で塚本数学クラブに入りました。その時は高校、大学で目標として目指しているところがあるわけではありませんでした。
塾というもの自体が初めてだったので不安もありましたが、いざ入ってみると授業はとても強烈で、塚本先生の怒涛の授業展開に呑まれながら生まれて初めて勉強する楽しさを学びました。
テキストの復習を精一杯して、自分が面白いなと思った問題は特に繰り返し解き別のノートに書き写していました。
そうして夢中で目の前の問題を解いていると気づいたら中3の夏に駿台全国模試の数学で全国100番にコンスタントに入れるようになっていて、最高で4番かそこらの順位まで入れるようになっていました。
高校受験は第一志望の国立にこそ入れなかったものの都立のなかなかのところに入ることが出来ました。
高校受験を終えて思ったことは受験というのはあくまで結果であって目的ではないのだなということです。もちろん目標にするのはいいのですがそこで終わってはいけない、もっと先があるんだということです。
中学3年間で塚本数学クラブで学んだことは勉強の知識だけでなく、生きていく上で大事な物事の捉え方やこうした考え方があったと思います。この塾では様々な伝記や自叙伝を読みますが、そうした経験や先生の言葉を通してこのようなことが学べたのかなと思っています。
そうした一生の財産となりうるものを学んだおかげか大学受験は精神的に気がとても楽でした。内容は高校受験より難しく塚本先生のようにわかりやすく教えてくれる先生には出会えませんでしたが、この塾で学んだ精神論や勉強の仕方を糧に頑張ることが出来て、結果も出すことが出来ました。そしてそれらはこの先の人生でも大きな励みになると思います。小手先の受験テクニックを教えるだけではなく、勉学の本質に迫った授業は本当に貴重だったんだなと思います。
単に高校受験の手助けをするだけに留まらず、決して大袈裟ではなくその後の人生の手助けをもしてくれるそういう塾だなと実感しています。

私は、自信を持って慶應義塾高等学校の入試を受けることができた。それは、ひとえに塚本先生から丁寧な数学の指導を受けたからだ。塚本先生の数学の授業は、定理やテクニックを必ず証明してから使うことになっている。情熱溢れる授業のなかで叩きこまれる。家に帰ったら早いうちにそれを徹底的に復習する。必死になって汗をかくような気持ちになって、勉強する。このようなサイクルを繰り返す。これを怠らないで続けるうちに、勉強に、ちょっとずつ、面白さや楽しさを感じるようになる。
この塾の英語・国語。これらも大変魅力的だ。数学と同じように学問を本当に根本から理解できるような授業だ。英語は、テストで得点が取れるだけというなまじの力に限らず、将来実際に使えるようなことを、たくさん学べる。この授業からは、英語の久保先生の、「本当に英語が大好き、生徒にも英語を好きになってもらいたい」という気持ちがとても強く感じられる。国語は、他塾とは異なったことを教えられる。国語担当の菊池先生からは「細かいテクニックにはこだわらず、真っ向から本当の内容を読みとる力」を鍛えてもらえる。だから、常に同じ方法で長文を読み、必ず一通りのやり方で答えをつくることが可能だ。したがって、数学や英語に勉強時間の大半をとられてしまうという状態でも、自信たっぷりに入試問題にぶつかれる。
この塾で習うと、数学・英語・国語、どれも真剣に学問することができる。だから勉強が、苦しいながらも楽しく感じられる。自ら学ぼうという精神が、姿勢が、自然に湧いて、受験突破だけに終わらぬ学力が、身に着くのだと思う。
入試本番の朝も、足がガクガク震えるほど緊張したが、自信だけははっきりと持つことができた。
入試が終わっても、塚本数学クラブの授業は終わらない。二月の終わりまで続く。私もおごることなく、精進を続けたい。

私は中学三年間苦しいこともありましたが、とても楽しかったです。
小学校六年生の二月に初めて塚本先生の授業を受けて、私は引き込まれました。これほどまでに数学というものが奥深くて、素晴らしいものだとは知らなかったからです。
そして、二年の秋に私は生徒会長に立候補して、選んでいただきました。生徒会長就任後すぐ足を骨折し、松葉杖の通院生活もありました。覚悟はしていましたが、塚本の授業と生徒会の仕事の両立は大変でした。ほぼ毎日の生徒会の仕事も手を抜きたくなかったからです。自分なりに一生懸命頑張ってきたつもりでしたが、三年の秋以降の駿台の模試の結果はあまりにも悪い結果でした。どうしても早慶に合格したかったので秋から特に苦手な英語の復習に重点をおきました。十二月の駿台では英語の数学が少し上がり自信を持つことができました。でも塚本先生からまだ足りない、と言われ、気を引き締めて必死に勉強しました。その結果二月七日の慶應志木の入試の日には、自分の感触では得意の数学よりも苦手な英語の方が得点できたのではないかと思う結果になりました。
私がこうして生徒会長と勉強の両立ができたのは、塚本数学クラブの素晴らしい先生方のおかげです。塚本先生の名言「ガチガチに復習しろ」ということができたので、私は第一志望校の慶應志木高校、第二志望の早稲田大学本庄高等学院に合格することができました。
塚本先生の情熱に満ちた授業を三年間受けることができて本当に幸せでした。
沢山アドバイスを下さった国語の菊池先生、試験前の緊張を和らげる方法を教えて下さった英語の久保先生。本当にお世話になりました。
充実した三年間をありがとうございました。

塚本数学クラブで勉強した3年間はとても充実したものだった。その3年間を振り返ってみても特に思い出深いのは
塚本先生の授業を初めて受けた体験授業のときだ。それまで塾に通わずろくに勉強して来なかった
小学生の僕にとって塚本先生の授業は鮮烈なものであった。
今思えばその時に勉強の楽しさを教えてもらった気がする。そして僕は高校受験をすることに決めた。
実際に入塾してみると、一回一回の授業の内容の濃さと周りの生徒のレベルの高さに驚いた。
正直最初の頃はついてゆくので精一杯で、クラスの中でも出来がよく無い方だった。
それでも塚本先生の言う通りにガチガチに復習してゆくうちにだんだん学力が上がってゆくのが
自分でも実感することができた。
最初は早慶を志望していた僕だが中2の3学期に国語の菊地先生に開成などの5教科入試を目指すことを
勧めてもらい、それ以来合格することを信じてより一層勉強をした。
そして中3の2学期には中1のときとは比べ物にならない程に成績が上がった。
そうして自信をつけることができ入試本番もあまり緊張せず落ち着いて問題を解くことができた。
塚本数学クラブで3年間高校受験という目標に向かって努力を重ねたという経験はかけがけのないものだと思う。
僕が塚本数学クラブで学んだのは勉強に対する姿勢そのものだと思う。
教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。

僕は受けた高校すべてに合格した。
中学に入学した頃の自分には考えられないようなことだ。そもそも僕は勉強が嫌いだったし、
この塾のハードな内容には全くついていけなかった。
しかし、塚本先生が「復習しろ!」といつもおっしゃっていたので、そこに力を入れて勉強はした。
けれど受験勉強が白熱する中3の夏になっても成果が出ない。全国公開模試みたいなものでも全く名前が載んない、
そんなふうだった。結局、最後の模試でも結果が悪く、志望校には受かりそうもなかった。
ところが受かった。どういうことなのだろう。自分で思うには理由が2つあって、その1つは、集中力。
塚本数学クラブは、英、数、国すべてが4時間ぶっ通しの授業である。
これを3年間続けて来た者の集中力はすごい力を発揮する。
入試を終えて、これはしみじみ思った。
それともう1つ、英語と国語の力だ。この塾の数学の圧倒的な力はどこの塾もかなわないだろうが英、国もすごいのだ。
実は、数学が苦手な僕は、こちらの科目で何とかしようと必死だった。
そして英国の御陰もあって受かったと、これもしみじみ思っている。

塚本数学クラブに入ったおかげで、今の僕は喜ばしい春を迎えようとしている。
僕は小学校の頃、塾に通っていないままこの塾に入った。最初の授業で扱っている内容のレベルの高さに驚いた。おまけに授業時間も長い。しかし、先生の教え方は非常におもしろく分かりやすいので授業が終わってから夢中で聞き入っていたことに気付いた。内容はとても濃く小学校の癖でなまけそうになったが、先生が毎週の様に「ガチガチに復習しろ」と言って下さったおかげで自分に厳しくあれた。
三年になり受験のことで悩んでいたため成績が微妙になっていた時に先生が「十二月まで入試勉強なんだから寝る間も惜しんでやれ」と言って僕は目が覚めた。それからは先生が何度も言っていた復習にさらに力を注ぎ僕の数学力は信じられない程に伸びた。駿台では全国二位にまで昇ることができた。そして、初日の早実の数学は三十分程度で終えることができ合格することができた。その波に乗ってその後の早高院にも受かることができた。
なまけやすい僕が日々努力を続け、遅れをとっていた最初と見違える程に数学力をつけ、合格できたのはまぎれもなく先生の熱心でていねいな一回一回の授業のおかげだと思う。
本当に有難うございました。

「この問題なら解ける!」一ヶ月程度前に習った問題が入試本番に出た。嬉しさと驚きで興奮する気持ちを落ち着かせ、確実にその問題を解いた。その後、他の問題も冷静に解くことができた。この時が、3年間の中で復習の大切さを一番はっきりと感じた瞬間だ。
「ガチガチに復習しろ。復習が大事だ。」というのは塚本先生の口癖である。私はその言葉を信じて、毎週配られるオリジナルのテキストを一週間で3回繰り返すことを目標にし、完璧になるまで復習した。私は3年間ただひたすらこれだけを続けてきた。復習をする利点は、自信がつくということだ。難関校を受けるという事で不安もあったが、自分はあんなに頑張ったのだから絶対に受かるんだ!と不安を打ち消しいつも通りに試験に臨むことができた。合格発表の日、掲示板で自分の番号を見つけた時、涙が出てきた。思いがけない人生初も嬉し泣きである。
塚本数学クラブで英数国を学んだからこそ、得られた合格だと思う。
「ひとりの人間にとって最大の発見、最大の驚きは、自分にはできないと思っていたことが実はできるのだ、と知ることである。」という名言を授業中に教わったが、まさしく今の私の心境である。
最後に、私のために特別な英語教材を用意してくださった大沼先生、国語の苦手な私に最後まで丁寧に教えてくださった菊地先生、飽きることのない、どんな時も眠気さえ吹っ飛ぶような楽しい授業をしてくださった塚本先生、3年間本当にありがとうございました。

「夢が現実になった」受験を終えて僕は今清々しい達成感で一杯である。
ちょうど一年前の自分は、大手の有名な塾に通ってはいたものの、成績が伸び悩んでいた。いよいよ中三になるという時、慶応高校に強い志望を抱いた僕は、いつも平均点を下回っていた数学を何とかしなければと思い立ち塚本数学クラブの入塾面接を受けた。「とにかく来なさい」そう先生に言われて受けた初めての授業、僕はまったくついていけなかった。周りの生徒のレベルの高さに頭が真っ白になった。でも自分はもう後には引けない。そしてその日を境に数学漬けの毎日が始まったのだ。授業は週に一回だったが、その日の為に何度も何度も復習を繰り返し、全ての時間を数学に費やしたと言っても過言ではない。
塚本先生の授業はすごい。ぐいぐい引き込まれて五時間くらいあっという間に感じるのだ。そして家に帰って徹底的に復習をする、これをひたすら続けているうちに自分の数学の力は確実に上がり、いつの間にか弱点だった数学が得意科目に変わっていった。駿台の公開模試でも上位に名前が載るようになったのだ。実際の受験でも、志木高校の証明問題の解法が一瞬で頭に閃いた時、僕は確実に波に乗った。それから後に受けた学校の数学の問題に不安を覚えることは一度も無かった。
目標を持ってただひたすら努力をすることの大切さ、そしてその努力は決して自分を裏切らないことを僕はこの塾で学んだと思う。この塾に入っていなかったらそれを知ることなく諦めていたかもしれないのだ。

一年生のころ、僕は何不自由なく塚本に通うことができた。だから、恥ずかしながら塚本に通えていることがありがたいことだと、はっきり認識していなかった。
しかし、二年生になるころ、父の事業の拡大に伴って家計的に塚本に通うことが困難な状況になってしまった。それどころか、もし将来合格しても慶応義塾高校に通うことも出来ないような状況だった…。しかし、自分は子供だから詳しいことは知らないが、両親と塚本先生との話し合いのおかげで、こうして三年間塚本に通うことが出来た。それでも、とても苦しい状況だということは手にとるようにわかっていた…。だから、志望校を都立に変えて塚本を辞めるべきか、両親と先生に甘えて通い続けるのか、この悩みを抱えながら授業を受けていた。当然、いろんなことに気を取られるため、成績不振になり、クラス分けテストでも危うく2クラス落ち(十二位)になるところまで落ちてしまった。(一年生のころは三、四位)
しかし、そんな時に塚本先生は「家の中は大騒ぎになっているだろうが、それに振り回されてはならん。とにかく集中して勉強しろ。早慶に合格すれば、親御さんも元気になる。だから今は勉強することが親孝行なのだ。」と諭してくださいました。このときから、僕は「勉強して家族を喜ばせ、そして塚本先生に恩返しをする!」ということを目標にして、誠心誠意勉学に励んだ。結果、受験した慶応義塾・志木、立教新座、桐蔭学園理数科の全てに合格することができた!(中学受験では慶応の二校、渋渋などの80%校も全て落ちたので、大違いである。)
これは、先生に諭されたことで、精神的に不安定な状態でも明確な目標を持ってひとつのことに没頭すれば、案外困難な状態
を打開できるということがわかったからだ。僕の場合は勉強(特に数学)に没頭することであった。これにより、問題の本質が見抜けるようになり、見抜けることで楽しくなり、数学の成績を上げることに成功した。
塚本先生から習った一部は、こういう数学と関連しつつも本質は数学とは違う、人間性についてのことだと思う。この受験生活を乗りきれたのは、精神的な面において先生が支えてくれたからだ。本当にありがとうございました。

僕は塚本数学クラブに入ってから二年程ずっと小学校で培った算数の能力を応用させて
こまかしていた。努力はしていることはしているのだが、「必死に」という程ではなかった。しかし、やはりそんなことがずっと通じるはずもなく、駿台での成績は下がる一方だった。逆にほとんどの仲間達の成績は上がる一方だった。全員が努力している奴等だった。その時初めて必死になって勉強してみるかという気
になった。最初は手さぐりながらも一ヶ月程するといつのまにか勉強をしだす様になった。「解く」ということがこの上なく楽しくなった。その時「努力とは確固としており、絶対に効果が出るものだ」と気付いた。しかし、そう気付いた背後には生徒のさ細なことにでも親身になってくれる尊敬すべき先生方や偉大な仲間がいたことは否めない。この受験で早慶三校に受かれた素晴らしさ以上にこの塾での三間で教えられたことの方が自分は誇りに思っています。この塾は地の塾とは比べられない程、素晴らしい塾であると断言できます。

僕はこの塚本数学クラブに入って本当に努力というものを知った。僕の授業中の進み具
合はいつも下から数えた方が早いような所にいた。それでも僕は絶対に第一志望に合格してやるのだと自分自身を奮い立たせて家で復習した。分からない所には
何時聞もくいついた。そうしたことが自分の納得のいく結果を残すことになったのだと思う。
僕の周りにはいろいろな友人がいた。一見ふざけている
が家ではすこく復習をしている奴。常に無口で正解率がほぼ100%の奴など。そんな友人達に勝つためには「努力」しかないと分かった。たとえ才能が無くとも、努力で皆に勝ってみせると常に自分に言い聞かせてきた。それでも勝てない時がほとんどだった。しかし、それでも僕は努力を続けた。そんな努力が上記
したような結果をもたらしたのだと思う。一つのものを手に入れるために、多くのものを犠牲にする勇気と覚悟があり、本気で努力してみたいと思う人にはとっておきのこの塾に入塾して欲しいと思う。

僕は本当に数学が苦手だった。でも高校入試へは数学のマスターが必至だとはわかっていた。そこで僕はこの塾の入塾面接を受けた。面接がある時点ですでに他の進学塾とは明らかに違うのだが、実際にその面接を受けて、他とは全く違うとはっきり思った。何時間も話しつづける塚本先生を見て、第一印象から衝撃だった。もちろんこの様な先生が展開する授業が普通であるはずが無い。2,3回目の授業
で中2の分野を取り扱ったり、まだ中1なのに慶大の入試問題をやったりする等々…。だが塚本先生の板書したものを一生懸命やり塚本先生がやれと言った問題
や復習をきちんと行えば不可能に思えた問題もなぜか解けてしまう事がしばしばあった。こういう体験が自信になり、僕は最後の最後まであきらめずに戦い抜く事ができたと思う。数学がダメな子が数学を得意分野にする事ができたのだ。そして勉強以上の人生の深い話、これが思い出である。

塚本数学クラブには偉大な卒業生がいた。慶應女子の過去問を三十年分つぶした先輩。夜中の三時まで寝ずに勉強強するを毎日繰り返した先輩。入会誠験の面接のときはその話を聞き、仰天した。でも今考えるとこの塾ではそのくらいが普通なのかもしれないと思う。
偉大な仲間がいた。一晩かけてでも一問を解こうとする。食事をしながらでも問題を見ていた。日課のように復習をする。もちろん僕もそのなかのひとりだったつもりではいる。こんなに勉強するやる気を引き出してくれたのは、やはり塚本数学クラブの偉大な先輩方の授業・言葉だったと思う。
ハイス
ピードで繰り出される問題に必死に食らついていった。また、息詰まるような問題にはしっくり時間を掛けて解かせてくれた。塚本先生がよく言っていたことは、「この問題を解けない自分を許すな」ということだった。この言葉で問題を最後まで解ききる根気がついた。また、先生の最も重要視するその問題を「解ける」ところまでではなく「使える」ところまでも復習もした。なぜなら、ここではそれが当然のことだったからだ。
このような塚本先生の授業や言葉、個性的な友達のおかげで僕は高校受験を自分の納得できる形で終えることができた。意気地なしで根性なしの僕をここまでしごき上げることができる塾はここしかないと思う。僕が偉大かはわからないが、塚本数学クラブの卒業生になれたことを誇りに思う。

塚本数学クラブで過ごした三年間は、人生の中でもう二度と経験しないであろう貴重な時間だった。
僕は、数学の勉強を通じて、「探究」という行為の核心に触れた。具体的に言うと、解けない問題一問に対して四、五時間ぐらいの時間を費やした。平面図形の
問題であれば、ノートに数十個、同じ図を描いて、探求した。立体図形では、問題の立体を案際に自分で製作して、解決の糸口の発見に努めた。まさに数学と戯れ、勉強に明け、暮れたのだった。
そして、塚本数学クラブでは、そのような一見時間の浪費としか思えない勉強が尊重されていた。中三になると、特定の人は理科、社会もやらなければならず、忙しくなって、そのような数学の勉強は事実上不可能になったが、中一、中二の二年間の勉強ではそれを実行した。そのおかげで、大きな下積みと自信を持つことができ、受験当日は不安なく普段通りに実力を発揮し、希望通りの学校に合格することができた。数学に割いた多大な時間が、浪費でなかったことが証明されたのだった。努力さえすれば、誰であろうと、自分の第一志望校に合格することができる。塚本数学クラブは、その努力を実力に結びつけてくれる。
数学を深く勉強したい人、思考力をつけたい人がいれば、是非入塾して、大胆かつ繊細な数学の世界を探求してみてはどうだろうかと提案したい。

思い返せば、塚本数学クラプは最初の入塾の面接のときから衝撃的でした。約2時間に渡る面接は先生がしゃべり続け、最後のほうに先生がこの子は××だからこのようにがんばりなさいと私の性格と今後の対策を示してくれました。この面接で一
気に世界観が変わり、勉強できればいいという浅はかな考えが変わり、この塾で必死にがんばろうと思いました。
数学の授業では、板書式の授業なので、1回1回の授業にとても重みがありました。夏期講習では、いつも弱点を見つけ、それを克服するように心掛けました。英語ば、文法だけにこだわらず、ひとつの物語を覚えて、それを全員がどこまで言えるかで競争したりしてゲーム感覚のものもあり英語に関心が持てました。直前演習では、たくさんの長文を読み、いろいろな問題に挑戦したのでだんだんと自信がつきました。国語はやっても無駄だと思っていた私ですが、体験授業1回目でその間違いに気付きました。
線と線をつないだり設問をチェックしたりと、菊池先生の論法でやるとだんだんとできるのが実感でき、嬉しくなりました。私は3年の5月ころにどうやって勉強したらいいのかわからずに数学の学力が下がりました。もう、ダメだ、とくよくよしていたところ、先生は私を見捨てずに何回も授業後に私を残し、説教してくださいました。駿台の模擬試験では、慶應女子高校の合格圏内の判定が出たことはほとんどありませんでしたが、先生方の言葉をいつも思い出し、最後まで頑張ろうと思いました。私が数学クラブで得た一番大きなものは、物事の本質を探る方法を学べたことだと思います。

高校受験が自分にことって初めての本格的な受験だった。それまで勉強なんて真面目にしてこなかったし、する気もなかった。そんな時、親にここの塾を勧められ、数学の授業を受けてみた。まわりができる人だらけで、そのことが負けず嫌いな自分には一番効いたと思う。それ以来、少しづつ勉強しだした。入塾後少してから国語と英語の授業も受け始めた。国語では、先生の解き方で解いてみると、文章が何を言いたいのか理解できるように
なった。英語だけは絶対大丈夫だと安心していたのに、授業を受けるたびに弱点が見つかった。冬休み頃はどの教科も落ち込んでいて、全くついていけなかった。授業の後はいつも精神的にぼろぼろになって帰った。上西先生はずつと「受かる」と言ってくれていた。塚本先生には「このままだと落ちる」と言われた。
駿台模試で志望校が再考圏だったこともあつた。
そんなまま受験直前になってしまい、物事をかなり楽観的に考える自分も少し不安になった。自分は緊
張するといつも頭が真っ白になってしますので、前日はとにかく本を読んで心を落ち着かせた。本番ではいつも授業でやっているとても難しかったので、入試の問題が簡単に見えた。模試を受けるような感じで、いつも通りに問題を解き、そして合格することができた。
授業は大変だったけれど、楽しかったから続けられた。自分が一方的に敵対していたほかの生徒みんなと、勉強もそれ以外のこともいろいろ教えてくださった先生方に心から感謝します。

夏期講習が来ました。起きる時刻は正午、眠る時刻は朝8時、このお医者さんに見せたら怒られるスケジュールが毎日。クラプには午後1時から11時まで、途中休み時間が1時間ほどありますが全員が金員、手にはシャープペン、空いた手でご飯
といった感じでした。自宅学習時間が7時聞を割ることはなく、すごく大変な講習でした。
そして夏期講習が終わってからは一学期やってきたことは
なんだったんだと言うくらい激しく勉強しました。午前3時以前に眠った日は4,5日くらいです。そして朝充血した目で学校へ行くと、学校の友人に「なんでそんなバカみたいに勉強するの?」とよくきかれました。たしかにはた目から見ると辛くて苦しいはずです。しかし、僕はこの約一年間一度たりとも苦しいと
思ったことはありませんでした。いつも、とは限りませんが、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。おそらく塚本数学クラブでは、英・数・国といった、
ただの教科の領域を超えた学問という大きなものや努力することの大切さ、楽しさ、おもしろさを教えてくれるのだと思います。
そして努力は絶対に裏切りません。努力すれば入試なんてちっぽけなものに見えてきます。

こんな私が慶應女子に受かってしまった。受験が終わった今考えてみても、塚本数学クラブはすごい塾だと思う。
最初は数学の授
業に慣れてきた頃に国語と英語の勉強も始めた。苦手だったのに復習と宿題をきちんとやっ受験のことをあまり考えず、ただ勉強した。もともと数学が好きなのもあるが、ここの授業はとても面白かった。とても速く進む授業のおかげで多くの問題と向き合うことができ、やりがいがあるので私はいつも必死で解いた。何度も授業を受けていくうちにやる気がどんどん出て、数学がもっともっと好きになっ
ていったし。復習が大事だという先生の言葉を聞き、たくさん復習した。できなかった問題はスラスラできるようになるまで何度もやった。
ているうちにできるようになっていった。英語では「ジャックと豆の木」をほとんど暗記した。B5の紙3枚分書かれている英文を覚えるのは大変だったが、これのおかげで色々な構文や単語を覚えることができ、英語ができるようになったと思う。大変なことばかりだったけれど一つずつ乗り越えていったら少しずつできるようになった。
私はこの三年間、塚本数学クラプの先生方の素晴らしい指導を受け、とにかく勉強をしてきた。とても充実していて、とても楽しいものでした。この三年間はこれからもずっと私にとって大切なものであり続けると思います。

中3の秋の全国公開模試で、数学は6856人中2958番、英語は6058番、国語
が6073番、その僕が早高院に受かったのです。奇跡みたいなものだと誰かに言われましたが、この塚本数学クラブでの2年間そのものが、今思うと奇跡みた
いなものでした。何しろ僕の中1の時の内申書の数学の点数は「3」だったのです。
入ってからが大変でした。もちろんクラスでは一番出来が悪くて、板書の問題も教材の問題も分からないものばかり、最悪も最悪でした。
この状況を変えなければと思い、中2の夏休み、夏期講習会のまえの10日間、一日中勉強し続けました。生まれて初めての必死の勉強でした。この塚本数学ク
ラブには、何かそんなことをさせるようなものがあるように思います。とにかくその成果で夏の講習会では「新熊変わったね」とクラスメートから言われるは、
先生からはアイスクリーム交換券を2枚いただいてむさぼり食うは、やれば出来るかもしれないと思い出しました。そして中2の終わりには1番上のクラスにも
上がれて、さあ受験勉強です。
成績はいまひとつパッとしませんでした。ある程度までは行くのですが、その後しっかり落ちる。ドンドン落ちる。英・
国はあんまり出来ないが、数学だけは何とか頑張っているので何とかとは思いたいが数学も落ちる。恐らく、クラスでビリで、12月ごろ僕よりひどい人は一人
もいなかったと思います。にもかかわらず、なぜかあきらめませんでした。この塾の持っている空気のせいかもしれません。本当に、落ちるとは思っていません
でした。そして、死ぬ気で勉強しました。12月なんて関係ありません。とにかく死ぬ気でやって、なぜか第一志望の通ってしまったのです。こんな人間もいま
す。こんな人間を、ここは作ってくれたのだと思います。

『塚本数学クラプに面接しに行こう。」中学入試したぼかりの僕に、親がこう言った。中学入試に落ちたばかりだったので、又試験かと思った。いや、面接と言っていたはずだ。とくに試験とは言っていなかったぞ、どう違うんだ。
ここでは面接に2、3時間かける。僕のことをどう評価してくれたのかはわからないが面接それ自体が面白く、こんな世界もあるのかと思った。中学に入るとい
うことは学問の世界の入口に立つということで、それならこういう事も身につけておかなければならない、こういう見方も大事だ、というような事をいっぼい
習った。あれ依頼3年、ここで入試に必要な数学、英語、国語と、全てを学んで来た。あの面悦が初めだったんだと思う。
面接からして凄いものだったのだが、授業も凄かった。かたっぱしから生徒が「全国区の優秀者」になると言われているが、その通りだった。こならなるだろうと思った。侯など1回しかならなかったのだが、何回も何回も名前が載る人も多かった。
受験勉強の危機は中3の秋、何となく手を抜いてしまっていて、どの科目も調子が狂っていた。ここで先生に、「数学」にもどれ。」言われた。どの科目にも良い顔をしようとしないで、数学のもどれ、数学を立て直せ。これは利いた。ちょうど入試の頃にぴったりと調子が元にもどり、全ての受験校に合格することが出
来た。
今、この塾に通うことができて本当にありがたかったと思う。勉強のことも、又勉強以外のことも多くの事を学んだと思う。先生達にも両親達にも感謝したいと思う。

入試まであと1週間ぐらいの時、私はいきなり不安になった。勉強を一応はやってみても、気がつくと別の事をやっていて、不安で不安でたまらなくて、自分はどうなっちゃったんだろうと思った。落ちるかもしれない、ただただ涙が出た。
英語の上西先生は「受かります」と言ってくれていた。確かに数学は全国公開模試で何回かベスト100に入ったし、高数の学力コンデストでも2回ほど賞をも
らったたことがあった。だが、英語、国語となると慶女の過去問をやっても6割取れる自信はなかった。数学だけ少々自信があっても、英語、国語の試験当日の出来がちょっとでも悪ければ落ちるかもしれない。不安は大きかったのである。11月、12月頃はかなりの力を英・国に注いでいたが、「奇跡のように」は学力は上がったりもしなかった。そのままズルズルと入試の直前まで来てしまい、泣くよりないような気分だったのである。
塚本先生の指示は、はっきりしていた。努力をやりきれ、自分で納得行くように努力をやりきれ。」そうかと思って、1番心にひっかかっていた慶女の過去問を約30年分つぶしてみた。
ここの塾の先輩に直前になってから20年分つぶした人がいて、もっとやってみようと以前から思っていたからで、これは不思議と心に落ち着きをもたらしてくれた。集中すれば、これ位のことはできる。不安でおしつふされそうになっている私でもできる、そう思うと心が落ち着いてきた。
入試当日も、落ち着いて問題を解くことが出来、合格を手にすることが出来た。先生もライパルのみんなにも、心からありがとうと言いたいと思う。

ここでの初めての授業は、それまで全くと言っていい程勉強してこなかった僕に受験勉強の大変さを思い知らせるのに充分だった。「好きな将棋を中断してでも勉強しよう。」僕をそんな気持ちにさせるものはここの授業が最初で最後だと思う。それまで将棋をやっていた時間が、まるごと数学の勉強に変わってしまった僕にとって週一回の塾は、将棋でいう道場みたいなものであり、またそれらは「自分の力を試せる」「楽しい」などの点で大いに共通していた。夢にまで出てくる塚本先生の授業を受け、その復習を繰り返すと言うサイクルの中で僕の数学の実力は
ぐんぐん伸びて行き、数学は完全に得意科目になった。
しかし、いくら数学が出来ても中3当初の僕には英語という大の苦手科目があった。学校の授業をまじめに受けていなかったせいか、模試の成績は毎回55を下回る始末。数学と足して2で割ったら60がいい所だった。そんな僕を救ったのは紛れもなく
ここの英語の授業であった。そこにはそれまで英語において感じたことのなかった「わかる喜び」があった。授業は僕の中に眠っていた英語の力を呼び起こした。第一志望校の入試本番では数学の失敗を英語でカパーする事ができた。高校受験は終わったが、ここで培った力はいつまでも僕にとっての学問の基礎になる
だろう。

僕は、中学受験のときは小学校が付属校だったので受験はしなかった。なので、勉強は全くせずにずっと遊んでいた。そんな僕に母が「塚本数学クラブの面接に行こう。」と言ってきた。面接は合格し、塚本数学クラブに通うことになった。これが僕の運命を変えるものとなった。
僕は、最初のころは全くできずに、ついていくことさえもできなかった。だけど、先生が、「復習は大事だ!」と言っていたことを信じて、家に帰っては復習を
1週闇に4~5回やっていった。そうすると、だんだんと自分ができる人になっていって、数学が好きになっていった。好きになると復習の量も増えて、授業中
も問題を解く時もかなり集中してできるようになっていった。
そして、中3の秋にただ1人の全国1位になった。このことは、僕に自信をつけてくれて、他の教科にも良い影饗を与えてくれた。この調子で受験ができることができた。中1のころは、早慶は絶対無理だと思っていたが、今こうして早慶の合格の切符を手にしたのである。
これも全部、塚本先生のおかげだと思っている。あと、塚本数学クラプに通わせてくれた両親に感謝している。本当にここに入ってよかったと思っているし、ここの生徒からも良い影響を与えて貰った。最初は数学だけで早慶は受かるということは半信半疑に思っていたが、今信じて良かったと思っている。
本当にこの3年間は充実していた。

私は中学1年生のときに、高校入試のことも数学のことも全く知らない状態で塚本数学クラプに入った。
小学生のときも数学の塾に通ったことはあったが、ここは全く違った。まず、授業の速さが違った。初めは先生の板書のスピードについて行けなかった私も、しばらく経つとノートを素晴らしく速くとることができるようになった。最近ではノートを見ずに文字を書くことができる。
また、先生の個性も強烈だった。私たちが復習をさぼると激しく怒り、ホワイトポードをパンバンとたたいた。そして、次の週の授業では必ずといっていいほど何か心に響く読み物が用意されていた。勉強させようとする先生の熱意が、非常に感じられた。何となく3年の年明けをむかえてしまった私を突然の腹痛が襲った。虫垂炎である。そして、私は入院し、数日間の絶食の後、手術することになった。絶食期間
中、妙に頭が冴えた私はようやく必死で勉強する事を決意し、年末に先生から言われた問題集や週去問をパリバリやった。今までに無いくらい勉強がはかどっ
た。
退院後、塚本の授業に出た私は驚いた。問題がスラスラ解けるのだ。たった一週間頑張っただけでこんなに違うとは、思いもしなかった。嬉しいことに、この調子の良さは英語や、苦手だった国語にまで伝染したのだ。私はこのとき、初めて慶應女子高校に受かるような気がした。
そうなると、もう2月の受験まではあっという間である。不安な私達への先生のフォローも素晴らしかった。特に、受験日直前の電報には感動した。
今思うと、私は塚本数学クラブのおかげでこの3年聞、大きく成長ができた。
どうもありがとうございました。

ある日、中学受験に失敗して落ち込んでいた僕に、1枚のチラシを片手に母が言った。「この塾の入会試験を受けてみようか。」こうして僕は、塚本数学クうブに入塾することになった。
僕は、少しは数学が得意だった。だから、塚本でも大丈夫だろうと思っていたのだが、どうも甘かった。授業が始まると塚本先生はまず、入試の心構えを話されるのである。(この時点で、凄く気合の入った塾だなと驚かされた)
次に先生が板書をして解説をして生徒達はノートを取りながら板書問題を解く。僕はノートを取るのが遅かったので、驚くほど早いペースに、ついていくことさ
えできなかった。板書を使った授業が終わると、手作りのテキストが配られる。一人一人が集中して、競うようにして解き始める。ここでも僕はペースが遅いの
で、とっても苦労した。
こんな僕が、このままではいけないなと、はっきり思いはじめたのは中2の秋だった。塚本先生は、板書問題は3回、テキス
トも3回以上は復習するようにと指示されていた。その位はやらなければならない。いや.「復習だけは、誰にも負けない位にやってやる。」塾から帰る電車の中で、ぼくは決意した。
僕が塚本クラプに行くのは土曜日だったので、土、日に集中して復習を徹底的にやり出した。それこそ1ミリもぬけ落ちがな
いように徹底して復習した。中3になるまで、こんな風に続けていたら、いつの間にか、誰よりも早くテキストを解き進められるようになっていた。「謙虚
に…」これはよく言われた。これを忘れないように頑張ってきた。駿台の全国公開模試でも、わりと安定して偏差値が70を越えるようにもなって来た。体調不
良の中での受験も、一発で成功した。
塚本数学クラプの先生方は、高校受験を通して、人間的な教養を増やし、将来への可能性を広げていってほしいと願っているように思う。この塾のように生徒の事を考えてくれる塾は他にはないと確信している。ここに通えたことは素晴らしいことだった。塚本クラプに通わせてくれた、親や祖父母に感謝したいと思う。

入試を終えて、いろいろな事を思い出す。そもそもここは入塾テストが変わっていた。手を変え品を変え、いろんな問題を先生と一緒になってやっているうちに夜になってしまった。「あっ、そうか。君、入るか?」「入りたい!」で、入塾することになった。
先生の授業は、野球のノックみたいなもので、次から次へと「問題ポール」が飛んでくる。それを必死になって追いかけて、捕って投げて捕って投げて、そんな感じだった。難しい問題は、大きなフライを塀際でキャッチするようなもので、その爽快感と言ったら最高だった。「塚本クラブ」なんで、授業は「激しい」
「厳しい」というような形容詞が10こ位並ぶようなものなのだが、僕としてはこんな感じで、この爽快感が忘れられなくて、一生懸命、通ったようなものだっ
た。爽快感はじょじょに体にしみついたようなものになり、これなしでば生きているような感じがしなくなっていった。中2が終わる頃までは、難しい問題だと、10コやって半分くらいしか解けなかったと思うが、中3の秋には、大体は解けるようになっていた。数学はいいよね、とつくづく思う。実は、入試の勉強
を強いられてやったような気はしない。野球なんかより、もしかしてもっと楽しい心の勉強をした、そんな気がする。ここに来るまで、勉強が楽しいなんて思いもしなかった。だけど、そういうものだとここで教えてくれた。

私は中2の九月に内部進学をするつもりでこの塾に入ったのですが、周りの人たちの学力のレベルの高さに驚き、自分の勉強に対しての甘さを思い知らされ、このまま今の学校に行くことは自分にとってプラスにならないと思い、中3になる時に受験を決意しました。
それからはひたすら問題をこなし、復習も怠らず自分の出来る精一杯の努力をしました。しかし数学の成績は上がることなく、自分でもどうして良いのか分からぬまま夏を迎えてしまいました。
そんな時、塚本先生から「頭脳に切れ昧があるのです。めちゃめちゃ本気になってやれば道は開けるはずです。」と書かれた手紙を頂き、努力を続ければきっと合格できると信じ、寝る間も惜しんで勉強しました。すると夏の終わりに私の数学の成績は、偏窪値45が74へと一気に上がり、駿台模試の全国成績優秀者の欄に名を連ねるまでになりました。
そうなってからは成績も安定し、他の教料で失敗しても、それをカパーできるくらい、数学は私の強い武器となりました。
そして受験の時期には、見たことのない問題はほぼなくなり、どんな問題でも見ただけで解き方が浮かふようになりました。数学の基本すら分からなかった私
が、ここまで成長出来たのは、ひとえに塚本先生のお陰です。塚本数学クラブでは、スピード感のある先生の魅力ある授業に加え、優秀な仲間と共に学べることで、どんどん自分の能力が触発され、引き出されていくように思えます。
最後に、本当に本気に本気で頑張れば、中3からでも必ず自分の夢は達成できるということと、素晴らしい先生と出会えることの大切さを付け加えます。自分自身の手で合格を勝ち取った晴の喜びは筆舌に尽くし難いものがあります。塚本先生には勉強だけでなく、人生の上で大切なことをたくさん教えて頂きました。今まで私を支え、励まして下さって本当にどうもありがとうございました。

僕は中一の時、塚本クラプという所がどんな所か全く解
らないまま入学をした。小学校の頃算数には自信があったので、数学もへっちやらだと思っていたが、入ってみて唖然とした。難易度の高い演習と、レベルの周りの人達、余裕なんてなかった。毎週毎週必死に授業に喰らいついていった。毎回違ったテーマで、板書を繰り返してやった後に、塚本先生が作って来たテキス
トをやる。一見普通の授業だが、これが塚本先生のすごいところだろうか、集中カと、自分の奥底にある数学のセンスのようなものがガンガン引き出されてき
て、授業が終わった後で振り返ってみると自分でできたのが不思議に思える位難しい問題も、授業中ではできるようになっている。又、よくできた日は自信がついて終わるのだが、自分で満足のいかなかった日には悔しさがこみ上げてきて、「来週は絶対にリベンジをしてやろう。」といった気分になり、次回へのモチベーションもとても上がる。
こういった授業を毎回受けてるうちに、僕の数学の能力は確実に上がり、数学は本当の得意科目になっていった。学校の友逢が数学で頭をひねっている中、僕は駿台公開模試の全国成績最優秀にも名を連ね、日ごろの勉強も自信を持って取り組むことができた。
塚本先生は「復習しろ!」と毎回の如く言う。最初は半信半疑だったが、復習の大切さは時間がたってから思い知らされた。前にやった事ある問題が出て来た時、前はすらすらとできたのに、2回目になると解法が全くひらめかないのだ。それもそのはず、僕は前やった時にわかった気になって復習していなかったの
で、次出て来た時にわからなくなっていたのである。ちゃんと復習し、一パターン一パターン心の中までしみ込んでいると、2回目だろうが3回目だろうが、解法はまるで昔の引き出しを開けたかのようにでてきた。復習は本当に大切なんだと今は思える。
塚本先生には勉強だけでなく、人間的な事、例えば努力の大切さなど、いろいろな事を教わったと思う。面白く、気さ<な方で、教師経験も豊富なので話のネタも多いし、僕は先生に本当にお世話になったと思っています。不安ながらに入った塚本クラブでしたが、この結果は本当に塚本先生あっての結果だと思います。三年間ありがとうございました。

私が二年生で塚本数学クラブ
に入ったきっかけは、学校での数学の成績が少しでも良くなればいいなと思ったからです。ところが、週一回の塾で教わったことをその日のうちに一回復習し、
また忘れた頃に復習するというようなことをやっているうちに、学校の成績はもちろん、色々な問題もどんどん解けるようになりました。間題集の終わったページに印をつけ、達成感を味わい、結構楽しみながら数学をやるようになりました。
受験のことは、三年生になるまでほとんど知らなかったので、塚本
先生の「早慶に受かりたければ、解けない問題があってはいけないんだ!」という言葉を本当に信じてしまい、100点近くとらないと合格しないと思い必死に勉強してきました。そして受験の頃には、問題を見ると、解き方が思い浮かぶようになりました。
受験一ヶ月位前からは、一番苦手な国語が不安になり、数学も気持ちの面で少しできなくなってしまいました。
でも、テスト本番では、終わった時に「受かったかも。」と思うぐらいのできで、少し安心しました。
塚本先生は、怒る時は白板をたたいたり、ペンを投げたりして、怖すぎるけど、その他の時は、授業中に曲をながしたり、フレンドリィに接してくれてユーモアな先生だと思います。今までにない、こんなすごい先生に会えて、本当に幸せです。

僕の場合、今回の受験は「賭け」のよう
なものだった。二年閥、ある中高一貫高に通い勉強らしい勉強は何ひとつしないで来てしまっていた。自分の学力がどれほどのものなのかも分かっていなかったのだ。学校の勉強にもついていけなかった数学、これをどうにかしなくてはいけない、これが「塚本数学クラプ」にお世話になるきっかけだった。初めの一ヶ月、この賭けは大きく外れたかに見えた。自信のあった英語も、高校入試をやるにしては余りに不十分なものであったし、何より数学の学力はお話にならない。
自分でも驚く程だった。賭け失敗だった。高校入試なんて考えるんじゃなかった。そんな想いが胸をよぎった。
けれど、そんな時の僕に、塚本先生は「君は慶応に通るよ。」こう断言してくれた。失敗だったと思った受験生活のスタートで、これだけが頼みの綱だった。これだけが光だった。これを信じて必死になって塚本先生のすさまじい授業にただただついて行った。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と経った。するとどうだろう、三ヶ月も経つと僕の数学学力は驚異的な伸びを見せはじめた、数学を解くことが楽しくて楽しくて仕方なかった。解けると狂喜し、解けないと自分で自分に腹を立てていた。そして、半ばあきらめ冷めた気持を向けていた数学にものすごく熱い情熱を向けるよ
うになっていた。数学だけは誰にも負けたくない。いや、ちよっとやそっとでは負けないぞ、そんな気持ちだった。
こうなってから先は簡単だった。僕の受験は。この三ヶ月で決まったと言っていい。夏明けの全国模試では、常に金国のTOP10を狙える程になっていた。
この奇跡は、ひとえに塚本先生のおかげだと思っている。それは工夫され尽した板書授業や充実したテキストのことだけではない。僕が今まで出会った人の中で
一番といっていい。先生が数学に対して(いや、数学に限った話ではないだろう)誰よりも情熱を持った男であることによる所が大きいのではないかと思う。
また、塚本先生は哲学者でもある。ある日こんなゲーテの言葉を教えて下さった。「世界はかゆやジャムからできてはいない。それゆえ、怠け者を気取っていてはならぬ。喉につまってへこたれるかし消化してしまうかどっちかだ。
受けた学校を全勝という形で終わらせることができたのは素晴らしいことだ。しかし、それ以上に、この一年間、塚本数学クラプで得たものは大きいのである。この塾を越える所はない。断書できる。

僕はこの三年間、塚本数学クラブに一回も休まず
通った。小学生時代、僕は存分に遊んでいたので、入塾当初は教室の雰囲気に圧倒された。最初の一、二時間は、基礎的な問題を先生の解説を聞きながらやる
が、残りの時間は先生の練り上げた独自のテキストを各自、競争するかのごとく解いて行く。いままで冗談を言っていた仲間は、この時こそ顔が変わり、真剣勝負にでる。勝負を制した者は喜び、負けた者は次回の栄光に秘策を練る。
少人数のクラブなので、そこは純粋に数学道場のような潔さがあった。問題
を解いていくだけでなく、人生の何かを知る場でもあったのだろう。塚本先生からは、あの本を読め、この本を読めとたくさんの指示があった。本を読んで行く中で、単なる受験テクニックではなく、人生の深みに気付いたように思う。
「一、二年生は潜水期閻、三年になって大いに頭角を現わせ!」先生の指示は常に具体的であったが不思議なことにその通りになった。僕も含めて仲間は駿台模試の常連の道場破りになることが出来た。
さて、受験も近づくとさしもの道場破り達にも不安が出て来る。そこは受験生の心理を知り尽くしている先生のこまやかな配慮の出番だった。入試直前の教室で
は、”合格招き猫”の小さな置き物から、果ては新型のシャーペンまで配られた。そして圧巻は三個の消しゴムが試験中に万一、消しゴムを落した場合、試験官
が拾いに来る無駄な時間を費やさないための対策なのだ。先生のこの心に僕は必ず合格してやろうと誓った。また、入試の前日にもらった、先生の電報のことは
一生忘れないだろう。
今、ふり返ればこの三年間は、僕にとってとても充実していたと確信している。毎回、毎回が新鮮な驚きの達続だった。塚本先
生に感謝するとともに、このクラブに通わせてくれた両親にも感謝している。そして受験が終わった今、塚本先生に種をまいてもらった数学を極め将来の仕事に結びつけたいと願っている。

この塾に一年聞通って得たものは何だろうか。こう考えると様々なことが心の中に浮かんでくる。
ぼくは数学が大の苦手で、ではそれを克服してやろうと思ったかと言うと、そうでもなかった。あきらめていた。自分には数学は出来ないのだと思っていた。それが、今は自身を持っている。いや、そこまではいかない。でも一応は自信を持っている。数学はやれると思っている。いけると思っている。こんな風に少しず
つ思えるようになった一年間だった。
数学の問題を解くには、論理的な思考だけではないと思う。感覚的なこと、数学感覚みたいなものもあるのでは
ないだろうか。この塾で一年間、とにかく、みがき抜いたのはそういう風なものだった。ここのテキストは、われわれの様子によって毎回違ってくる。こっちの方が弱いなと思っていると、次の回には、そんな問題ばかりが三十問ものっているテキストが出てくる。やっぱり逃げられないか、どうしてもできるようになら
ないといけないのかと思って、あきらめに似た気持ちでやる。家に帰ってからも何回もこなす。そうこうしているうちに弱い分野が得点源に姿を変えていく。これを何回も経験した。そして、ヒラメかないはずのぼくが、ヒラメくようになって来た、と思う。公開模試の成績もどんどん上がって行った。
入試の直前は不安もあったが、ひたすら間題を解くことでそれを解消した。慶應義塾高校の前日も授業があって出席したら、その日にやった問題が次の日の試験に出たのには、とても驚いた。ほんとに、びっくりした。
このように「塚本数学クラブ」には、高校合格への可能性、扉があると思う。この塾の上を行く所はない。今、断言できる。

今から一年半前、二干年の夏くらいまでの僕は、とにかくあんまり勉強しなかった。学校の数学でも、けっこう難しいなと思っていた。こんな状況に僕も両親もさすがに危機感を感じ塚本数学クラブにお世話になることになった。
それまで必死になって勉強することを知らなかった僕は、授業中の教室の空気にまず圧倒された、「これが勉強だ」、肌に触れる空気が叫んでいるみたいだっ
た。塚本先生が目にも止まらぬ速さで問題を板書していく。紙やテキストなんて見ない。生徒は遅れまいとノートに書いて必死になって解こうとする。解けない
と「こんなの解けんでどーする!」と吠える。(最初の頃は、さぞかし近所迷惑だろうと思った。鼓膜の振動が自分でわかる程の大声だもの。)”壮絶” 一言
で表わせばこれに尽きる。まるで流れの遠い激流の中へ放り出されたようだった。その中で、僕は必死に流れに乗ろうとして溺れかけ、沈み、そして浮かんだ。
回数を重ねるうちに、少しずつ流れに乗れるようになった。
ところで、授業中必死になるだけでいいかといえば、決してそんなことはない。家に帰っ
たら復習しなければならない。この復習は塚本先生が最も大切にするところであり、「復習しろ!」と繰り返す。初めは半信半疑なところもあったが、これは大きな誤りだった。授業+復習の繰り返しは、いつしか=学力向上という方程式になって来た。そして2001年、夏。僕の数学の学力は飛躍的に向上した、魔法
にかかったかのようで、自分でも信じられなかった。早慶を視野に入れ始めたのもこの頃だった。それ以来、駿台の公開模試にも、繰り返し、名前がのった。
こうして今、志望校全勝という形で高校受験を終えることができ、自分でも驚いている。もし塚本数学クラブに入っていなかったらどうなっていたことだろう。
本当にそう思う。高校に受かると共に、忍耐力や努力することの大切さも得ることが出来た。これほど嬉しいことはない。塚本先生、本当に、本当に、ありがとうございました。

とにかく最初の授業から驚きと緊張の連続だった。まばたきをしているうちにも色々な
知識が飛び込んでくる。僕は最初この授業についていくのがやっとだった。実は正確に言うと最後までやっとだった。中二の頃の僕はまだ受験をあまり意識しな
かったせいか勉強をおろそかにしていた。その事によって、いつもこの塾では内容を理解するのが精一杯。途中で投げ出しそうにもなった。しかし、三年になってからは気持ちを入れ替えて積極的に授業に取り組むようになった、ここの塾のテキストは一つの単元について徹底的に厳選された問題が無駄なくのっているの
で、自分が苦手な分野をやろうと思った時、とても便利でそのテキストを丁寧に何回も復習すれば必ず力がついた。しかし数学はなかなか成績があがるものでは
ない。目に見えない所で少しずつあがっているので焦らないことが大切だ。公開模試でなかなか名前が出なかった僕は少し落ち込みはしたが、やはりあくまで入試で点をとれればいいのだと考え、ずっと頑張り続けたその結果、数々の高校で合格をする事が出来た。
三年間。本当にありがとうございました。

今の気持ちは単純に「やった」の言です。少し疲れています。余裕もないのです。でも「やった」とにかく「やった」です。
私はこの塚本クラブに入るまでは、数学の「す」の字も知りませんでした。中二の頃までアラスカにいて、そこで受けた教育は、日本のレベルとは全然違っていました。3x+5=7ができるだけで「すごい」なんて言われたりしていました。本当に、本当に何も知らない。中学入試をやったこともなければ、中学生用の数学の問題集の一問すらやったことがありませんでした。
ところが、この塚本数学クラブで一年間修業して、早稲田に通った。通ってしまった。私自身驚いているし、本当に信じられません。なぜと私自身考えました。
この塚本クラブに入った時、塚本先生に言われて、シュリーマンの「古代への情熱」を読みました。トロヤの遺跡を発掘するまでのシュリーマンの自叙伝なので
すが、これを読んで私の中に眠っていた勉強に対する爆弾みたいなものが爆発したのです。自分もやれば出来るのではないかと思ってしまったのです。こういう
風にして、塚本先生は、まず私達のやる気を出させます。授業も、すごいですよ。まるで、コジラ映画でも見ている様な感じです。
私自身も自分なりに、この一年間頑張りました。歯を食いしばり、ひたすらシャープペンシルを動かしました。塚本クラブで習ったこと…人というのは「努カ」というもので計り知れない己の力を出す事が出来るという事。私が証拠です。少し前までアラスカで暮らしていたのですから…。

僕は一年生の時、他の塾に通っていたが、他の科目はそこそこできるのに数学だけが思うように成績が伸びなかった。授業を聞いていて、その内容を理解したと思っても、実際に問題をやってみると、なぜかできない。教えてもらうとなんだ、そうかと納得できるのだが自力で解くとなると、どこからどうやって解いたらいいのか分からなくなってしまう。今考えてみると、それはきっと経験ということなん
だろうと思う。
数学はひらめきが大切だ。解けるようになるためには、問題をいろんな角度から見られることが必要である。そして次にその正しい方向というものをどれだけ速く見つけられるかということがあると思う。こういったことが、訓練すれば必ず出来るようになると教えてくれたのが「塚本クラブ」
だった。
一回の授業で、一つのテーマを勉強する。一つの問題を研究し、そこから生まれてくる定理や新たな問題を練習する。たった一つの問題から、次から次へといろいろな問題が出てくる。そんな問題が一冊のテキストにつまっている。これを何国もくり返すことで、確実に経験値は上がっていく。こんな風にやっているうちに成績はどんどん上がっていった。今まであまり得意ではなかったものが、心強い味方となった。僕が合格できたのも塚本先生の数学のおかげだと思う。
大量の問題をこなすのは確かに大変だったが、それをやれば絶対に数学ができるようになる。ここのテキストをやって、数学ができるようにならないはずはない。結果が見えている。そう思う。

「数学に王道なし」という言葉を聞いたことがあります。確かにそうだろうと思っていた。しかし、この塚本クラブには「数学に絶対に強くなる道がある」という言葉がピッタリと来るような気がする。
レベルの高いテキスト、周りの生徒、そして極めつけは塚本先生、「塚本マジック」と言うべきか、驚くほどの数学の力を身につけることが出来る。塚本先生の
頭の中には膨大な量の数学の知識がインプットされていて、「歩く数学事典」みたいな感じだった。そして、生徒をやる気にさせ、実力をとことん伸ぱし、時に
は、つきはなすことで、さらなるレベルアップに持って行く。何か不思議で一風変わった独特の指導だった。いつの間にか、いつの間にか、ぼくは伸びていた。
当り前みたいに全国公開模試でも名前が出るようになっていた。
ここで学んで、ここで育ててもらって、ぼくは全ての受験校を最高の出来で終える事
が出来た。ここで学んだ中身の濃い三年間を誇りに思う。もっと言えば、ここで勉強すれば数ヶ月後には、きっと別人になっていることでしよう。ぼくが、そうだったのだから。とにかく、ここに来ることは数学に絶対に強くなる最短ルートです。ここの右に出るものは全くないと断言出来ます。

私は中三の四月からこの教室に入室させていただきました。この教室での授業内容は、
思っていた以上に厳しいものでした。三時間、四時間の勉強は、あっという間に終わり、後はただ充足感のある気持ち良い疲労が残りました。毎回、通うごとに大量の問題をこなして、満足感に浸りました、御陰でどんな試験問題にも苦手意識がなくなりました。早高院とか慶應とかに合格出来たのは、ここでの数学の御
陰です。
これから受験する方々には、どうか一科目でもいいから得意科目を作ってほしいと言いたいと思います。中途半端ではなく、これだけは出来る、絶対だという科目を持つことです。そこから自信というものも持てるようになって行きます。これが成功する第一歩だと思います。

「最後まであきらめないで本当に良かった。」僕の気持ちは今、これでいっぱいです。
受かるはずの学校に受からなかった時は、どうしていいか分かりませんでした。ただただ「信じられない」という気持ちと、くやしさと絶望感を感じていました。原因は、僕が入試を甘く見ていたせいです。もう少ししっかりした認識があるべきでした。
この何日か、ずっと不合格ぱかりでしたので、今でも自分が合格できたのが信じられません。まだ心臓がドキドキしています。
この三年間は早かったです。塚本数学クラブでの初めての授業、そして最後の授業のこと、はっきりと覚えています。
奇跡かもしれないけど、受かって本当に嬉しいです。三年間、ありがとうございました。

僕は高校入試で一番点差がつく科目は数学だと思う。理科、社会、英語の場合は一生懸
命復習していけば、わりと短時間で点数が上がる。又、国語の読解問題では、満点も0点もあまりなく、文章の種類によって得手不得手があり確実に点が取れるようになる科目とは言えないだろう。しかし、数学だけは特別な科目だと思う。一問一問の配点が大きく、数学の出来具合が、テスト全体にまで影響を与えるこ
とも多い。他の科目が高得点でも数学を苦手にすると点数の差があまりつかなくなってしまうし、逆に得点源にすればかなり有効に働く。けれど、数学は短期間
に実力を上げることが難しいし、解いた問題数に比例して上がるということでもないと思う。中一の僕はいつもこのことで悩んでいた。その悩みを解消してくれ
たのが『塚本クラブ」だった。塚本先生が何時間もかけて作製したテキストは、どんな問題集よりも優れていた。僕は他のことは何もせずに、ただひたすらこれ
だけを復習した。おかげで、数学は他の教科とは違って偏差値が高い所で安定していた。その結果、僕は第一志望の開成に合格し、国語で苦戦した慶應志木にも
数学で合格することができた。
今思う「塚本数学クラブ」に、二年間一回も休まずに通ったということが、僕にとって受験の日の最強のお守りだったと思う。

この一年間は、毎日大体五、六時間位の時間を作って勉強するようにしていました。そのうち三、四時間位が数学で、後は英語と国語に残りの半分半分使うという感じでした。 数学は、まずここのテキストを毎週三~四回やって、残りの時間で東
京出版系の本を十冊位全てやりました。はじめの三、四冊を少々つらくても乗り切るのがコッだと思います。そこを乗り越えれば、大体どんな風に考えればいいのかがもう分かっているし、受け身ではなく積極的に解いて行くんだとう感じになリます。解くスピードがついて来たのも五冊目位からです。
英語は、中一の時に中三まで一応勉強していたので、貯金があると思っていたのですが、中三の半ば位から成績が落ちて、焦りました。その後アプトやいろんな本をつぶして何とか形にしたという所です。
国語は中二の頃に貰った出口の本をやったぐらいで、他の問題集も少しはやりましたが充分に勉強したという気は最後までしませんでした。
秋に数学で全国一番になって、慢心しました。次の公開模試では名前も載りませんでした。ある程度出来るようになっても、ぼくみたいにその気になってはいけません。これだけは言っておきたいと思います。

ぼくは落ちたと思いました。慶應志木高の入試の時、ひどく調子が悪くて全然解けませ
んでした。悔しさが込み上げて来ました。自分自身に腹も立ちました。試験の真最中でのことです。一年間、何をやって来たんだろうと思いました。その時と言っても瞬時の事ですが「塚本クラプ」に通った一年間が心をよぎりました。ぼくは、ほぼ一年間毎週片道二時間半かけて、ここへ通っていたのです。そうだ、
あれだけやったんだ、あれだけやったんだ。塚本クラブを思い出すと心の中がパーと明るくなったような気がしました。それを信じることができました。する
と、不思議と心が落ち着いて来て、残リ時間は三十分を切っていたのですが、二題、三題と解けて行きました。試験終了のベルが鳴った時、ぼくは心の中で今まで越えられなかった一線を、何か乗り越えたような気がしました。
その先は受かりに受かりました。武蔵も慶應義塾もかなり楽に通ることが出来ました。入試というものは厳しいものだと思います。一切の甘えや幻想をはぎ取られて、ふらふらしそうになった「ぼく」を心の奥底で支えてくれた、「塚本クラブ」に深く感謝しています。
みんなに爆笑されてしまった私の入試川柳を一つ
『久が原にユークリッドを学び来し、終電に駈け始発に走る』
誰でも努力すればチャンスはあると思います。ここではそれが、きっと報われます。頑張って下さい。

普通ではない。福沢諭吉の話やキュリー夫人の話が出て来る。どうして勉強するのか、どう勉強というものを考えるべきなのか、そこから話が始まる。
そうかそうかと思っているうちに数学の定理が一つ出て来る。説明ではなく、それがどれ位、驚くべきことなのか、どう感じるべきなのかが力説される。
そして、あっと言う間に定理は証明される。ノートは、取らせてくれない。しかし、定理の証明は、全く同じ事が平然と、三回、四回と繰り返される。生徒は、
黒板が消されてから、自分でノートにやってみる。初めは、びっくりした。学校や普通の塾だと、いっぺんやってもらえるだけで、聞き逃したらお終いだ。だけ
ど、これだとそうはならない。同じことを、三回も四回も聞かされるのだから。
塚本先生は、生徒の「分かった」を信用しない。「分かった」にも、
色々あるという。分かった気分になっているものを、一番嫌う。ひとつの問題を、初めから終わりまで鉛筆でやってみて、はじめて自分がその問題をどう感じているのか分かるのだと云う。自分の心は、鉛筆を動かしてみて初めて外に映される。だから頭の先っぽだけで考えてはいけないと云う。
解法が上手だとか、教え方がうまいとか、数学の先生を評価すえる言葉としてよく使われる。そういう意味では、もちろん完全にうまいし上手なのだが、そんなものは、とっくに越えてしまつている授業。あっという間に数学が好きになり、どうしたつて頑張ろうという気になっていた授業。塚本先生の数学。